Community

我々の生きるこの世界には様々な社会的共同体、いわゆるコミュニティーが人間の数以上、存在します。
私で例えるならば、父、母、妹と組織する家族というコミュニティーに属し、(有)野●組という会社組織のコミュニティ-に属し、広く言えば、それこそ『日本』という国家のコミュニティ-に属しているわけです。

どこ住んでるの?
「地球だけど。」
みたいな。

もちろんバンドも3人でいる以上コミュニティーという認識が生まれます。
しかし個人とそれは違うということも考えなければいけません。

あなたのとても常識のある友達が実はパ●ウェーブ研究所(これもまた団体という社会的コミュニティー)の構成員だったとしたらどうでしょう。
あの人とても常識のある人だと思っていたのに、こんな修行をしているなんて…。
と思うでしょうか。

しかし、あなたの前での常識のある素行が友達の本当の姿なのかも知れません。
まあ逆の可能性も発生してくるわけですが。

空の領収証を書いて飲食代に当てたる警察という治安を守るが不祥事だらけの組織でも、そこに勤めている友人はあなたの前では警官である前にあなたの友人であるはずです。
人の本質を見抜け!ということではなく、今いる場所、かつていた場所を、その個人が集まった目的を知らなければ。と言うことです。

あなたの昔の友達、かつて『同じクラス』はたまた『同じ部活』と言う組織にいたとします。
でもあなたの現在いる場所はその友達とは違う土地かもしれません。
その友人と今、違う世界、つまりコミュニティーにいるということは目的が違ったからです。

しかし道分かれても、友人と今度は『かつてのクラスメイト』というコミュニティーでくくられます。
かえるべきところは同じなのです。

自分の居る場所くらいは必死で守りたいものです。
自分のコミュニティーが、その作り上げた世界が、どんなに小さくても錆びつくことのないように。

以上、かたおかともよしの前向き人生考察でした。

Community” に対して4件のコメントがあります。

  1. 姐がわ より:

    うん。
    やっぱともさんは
    すげーや。
    こういう見方は
    あたしん中ではなかったです。

  2. トモ より:

    >姐がわ
    自分の信念は守らないとね。
    でも昨日自分と今日の自分は別物だ、ということも意識しないといけないね。

  3. miyu_tail より:

    錆びる事なき小さな世界。。
    今居る場所からかつての友へ、離れてしまっても同じ時間を過ごしたね
    同じ世界に生きられて
    あなたは私の心に今も鮮やかに生きているよ
    どうか世界の果てまで届きますように
    ともさんの世界、リンクしたかも。リスペクト!

  4. より:

    >miyu_tail
    願とは願った時点で叶い始めるものではないでしょうか。
    遡って読んでくれてありがとうございます。

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