命
気がつけば2週間も書いていなかった。
今年の世相を現す漢字は『命』だそうで。
デスノートも完結したので、「人の命の重さは平等か?」について考える。
人道的観点からすれば『平等』とされているが実際、平等には取り扱われていないのではないだろうか。
本来平等に扱うのであれば殺意を持って人を死に追いやった者は死をもって償わなければいけないであろう。
しかし、一人殺しただけなら無期懲役、二人以上なら死刑などと変な境界線がひかれているではないか。
無期懲役を受けた殺人犯の服役中の居食費、いわば生活費は国民の税金。もちろん被害者の家族だって払っているだろう税金。しかも15年もすれば出所、さらに就職先の斡旋まで。専門学校みたいじゃないか。
『被告は犯行当時、正常な精神状態ではなかった。』弁護団は大抵、口を揃えてこう言う。
当たり前だ。健康な精神状態の人間が殺意を持って人を殺すか!?殺人犯の精神鑑定も無駄。
ロリコンの宮崎駿でなく宮崎勤は大人になれば少子高齢化に歯止めをかけたであろう少女を4人も手にかけたくせに『死刑は残酷だ。』などと言い、国家の転覆を図った麻原は精神に異常が出たふりをしている。
強姦殺人の犯人の父親は以前テレビでインタビューを受け、
「息子はもう反省しているし、そもそも少年法は罰するのが目的ではなく更正させるためのものだからね。」
と言っていた。他人の子供を殺しても自分の子供は可愛いようだ。
たとえ本心でなくても。
「息子を殺して自分も死ぬ。」
とは言えないだろうか。
どういうわけか加害者の人権ばかりを尊重する今日の司法制度。
『青春』や『幸せ』なんて簡単に奪われるということだ。
それにしてもデスノート、リヴェリオン、マイノリティーリポート等、すべてが
「やっぱり無かったほうがいい」
という結末なのはやはり創作だからカナ。